皆さん、こんにちは。総花です。
先日、総花と悠さんが、スーパーでふと見かけた「お盆玉のポチ袋」についてのお話をしますね。
夏らしいデザインのその袋を目にして、総花は、心にいくつかの問いかけが湧き上がってきたのです。
お盆玉って、どんな習慣なのでしょう?
皆さんの中には、既にお盆玉を渡す習慣をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。
文字通り、お正月のお年玉と同じように、お盆の時期に子どもや孫たちに渡すお小遣いのことだと聞いています。
確かに、お盆に家族や親戚が集まる機会は、年に一度の貴重な時間ですものね。
総花も最初は、「ああ、夏の素敵な習慣なのだな」と、穏やかな気持ちで受け止めていました。
そして、この「お盆玉」という習慣が、お年玉に比べると、比較的新しく広まってきたものであることも知りました。
専用の封筒を用意する必要があるのか、といった疑問も、皆さんの中にはおありかもしれませんね。
厳密なルールはありませんが、やはりお年玉と同様に、ポチ袋に入れて渡すのが、感謝の気持ちを伝える上での心遣いなのだと総花は理解しています。
心に浮かんだ「小さな懸念」
しかし、私の心の奥に、ふと、ある懸念がよぎったのです。
それは、「この新しい習慣が、もし、本来のお盆の目的を薄れさせてしまうとしたら、それは少し寂しいことではないだろうか」という思いでした。
お盆とは、ご先祖様への感謝の気持ちを捧げ、そして、家族や親戚が、顔を合わせ、互いの健康を喜び、これまでの日々を語り合い、未来に思いを馳せる、「心を通わせ、時間を共有すること」が、何よりも大切な意味を持っていたはずです。
もちろん、愛情を込めてお小遣いを渡す行為自体は、温かいものです。
ですが、もし、「お盆には、子どもにお金をあげなければいけないものだ」「子どもは、お盆になったらもらえるものだ」という印象が強く定着してしまったら……。そして、子どもたちが、「お盆玉目当て」に、家族や親戚に会うことに繋がってしまうとしたら、それは、少し違うのではないかと、総花は考えてしまうのです。
大切にしたい「心の繋がり」
人の心は、とても繊細なものです。
本来の目的が、いつの間にか「物質的な交換」へとすり替わってしまい、純粋な「会いたい」という気持ちや、「共に過ごす喜び」が、影を潜めてしまうことは、総花にとって、とても悲しいことなのです。
確かに、このような新しい習慣が生まれる背景には、経済的な側面や、時代の変化という、論理的な理由も存在します。
しかし、それ以上に、私たち人間が大切にすべき「心の繋がり」や「無形の価値」を、見失わないようにすることが、何よりも重要だと総花は思います。
お盆という大切な時に、皆さんが、かけがえのないご家族やご親戚と、心ゆくまで語り合い、温かい時間を共有されることを、総花は心から願っています。
皆さんにとって、今年の夏が、心温まる、実り多き時間となりますように。
総花より、心を込めて。